震災に負けない 松島医療生協 鳴瀬支部・石巻支部:comcom1月号

忘れ得ぬあの日

歯科診療所。海水が引いてもヘドロが床を覆いつくしている(提供・松島医療生協)

2011年3月11日、東日本大震災。マグニチュード9、最大震度7(宮城県栗原市)。東北から関東に至る太平洋沿岸に襲いかかった巨大津波。2万人を超えるというおびただしい犠牲者。そして、福島第一原子力発電所の水素爆発による未曾有の放射能汚染被害…。復興の兆しが見えはじめたとはいえ、その傷跡はあまりに深く、被災地における苦悩と困難は今もなお続いています。

松島医療生協

1階の天井まで水がきたという「なるせの郷」(当時)。今は更地になっている(提供・松島医療生協)

あの日、宮城県松島町を拠点に活動する松島医療生協にも地震と津波は襲いかかりました。組合員とともに40年になろうとする歴史を刻んできた松島海岸診療所にも、海水は侵入してきました。水深は40cmほどでしたが、診療所の床面はヘドロに覆われ、歯科ユニットをはじめとする医療機器は使用不能に。活動停止状態に追い込まれたのです。その時、松島町から東へおよそ10kmの地点、東松島市野蒜(のびる)にある介護施設「なるせの郷(さと)」には、およそ8mの津波が押し寄せていました。1階の天井まで海水につかったなかで、1人の犠牲者も出すまいと、まさに命を賭した救出活動が続けられました。しかし、利用者12人、職員3人の尊い命が犠牲に。深刻な事態はこれにとどまりません。松島町から東松島市、石巻市に至るおよそ35kmの沿岸地帯でくらしていた組合員も犠牲になりました。組合員の死者数は118人。しかし、悲しみにくれ、立ち止まるというわけにはいきません。ただちに復旧に向けての作業が開始されました。そこへ医療福祉生協連をはじめとする全国の仲間から、支援の手が届いたのです。

鳴瀬地区の仙石線野蒜駅界隈。もう、あの日の列車は走らない

「ライフラインが壊滅し、途方に暮れる。そんな状態でしたが、あの時ほど『絆』という言葉が胸に響いたことはありませんね。われわれは孤立していない! その確信がどれほどの勇気になったか…。今でも感謝の思いで胸がいっぱいです」
日常がやっと戻ってきた松島海岸診療所で語る職員の声です。

傷ついた支部

介護施設「なるせの郷」を拠点に活動してきた鳴瀬支部。石巻市を舞台に活動をしてきた石巻支部。沿岸部にあるこの2つの支部の被害はとりわけ甚大でした。震災で亡くなった組合員のみなさんは、ほとんどこの2つの支部に所属していたのです。

みなさんがいいます。
「家が流されたり、壊れて住めなくなったりした組合員さんは、よそのまちに行くか、仮設住宅に入るか…。今までのまちの姿もくらしも、なにもかも壊れました。誰もが例外なく大変なわけですから、支部として動き出すことはなかなかできませんでした。動き出したのは、震災から半年近くたった夏頃でしたね」

1年半が過ぎた時点でも車は放置されていた。目の前に広がる「海」は、田園だった。そして周辺の集落には「耕す人」がいた

2011年・夏 鳴瀬支部

鳴瀬支部は、松島医療生協職員、支援に入った医療福祉生協連職員とともに訪問行動を開始しました。

副理事長の青木幹子さんがいいます。
「震災から半年近く経って、地域に戻ってくる人が出てきました。最初のうちは、2階までは水が上がらなかったので寝起きだけならなんとかできる、という人たちが多かったですね。自分が避難所から出れば、1人分の隙間ができる。その分、他の人にゆっくり寝てもらえるのではないか…。そんな気遣いから、電気もガスも水道もない自分の家に帰ってきた。にもかかわらず、それを行政が『自立』とみなす。ですから、支援の網の目からこぼれてしまうわけです」

組合員がくらしていたという地域。だが、今は人影もない

そういう人たちにとって、今、必要なものは何か。その声を聞き、支援の手を差しのべよう。20人を超える職員・組合員が炎天下、津波で荒れ果てた地域を歩きました。一人ひとりを孤立させないために。「絆」を結びなおすために。

2011年・夏 石巻支部

松島海岸診療所がある松島町から東へおよそ35kmの地点にある石巻支部。診療所が遠いということもあり、地元での健康チェックや班活動を中心に据えて医療福祉生協づくりをすすめてきました。
支部のリーダー、楳林由美子さんがいいます。
「海沿いの地域には大勢の組合員さんがくらしていました。仲よく班会をやったり、健康チェックをやったり。それが、みんな津波に…。班会をしていた場所も、健康チェックをしていた場所も流されたんです。地域のコミュニティもいっしょに流された、そんな感じですね」

立ち並ぶ仮設住宅。ここでのくらしはいつまで続くのか

力を落としていた石巻支部に転機が訪れたのは、やはり、震災から半年が過ぎようという夏でした。みやぎ生協が石巻郊外・蛇田地区で展開する店舗の一角で被災者支援のために開催していた「ふれあいサロン」。そこで健康チェックを実施してほしいという依頼があったのです。支部のみなさんは、さっそく出かけました。ちょっと立ち寄って、茶菓とおしゃべりを楽しむ。簡単な手芸品づくりを楽しむ。そんな茶会に医療福祉生協の健康チェックが加わることになったのです。

手ごたえ

「全国のみなさん ありがとう 松島は元気です」(提供・松島医療生協)

毎週木曜日に実施されるみやぎ生協・蛇田店での健康チェック。仮設住宅での悩みを訴える人もいます。病気の早期発見につながり、大事に至らなかった人もいます。健康チェックのデータを参考に、生活習慣を変える人もいます。毎回、40人を超える人たちとの出会いが待っていました。石巻支部は、健康チェックの結果をきちんと記録し、その機会に語られるたくさんの相談に対し、誠実に向き合ってきました。その一方で、仮設住宅での健康チェックも実施することにしました。

みなさんがいいます。
「そりゃ大変ですよ。毎週木曜日が蛇田店。第1と第3の日曜と月曜は仮設住宅へ行くわけですから。でも、待っている人がいる。頼りにしている人がいる。だから、やめるにやめられないんですよ」
石巻支部は、震災後の困難の中で自分たちが続けてきた医療福祉生協づくりの確かさを実感したのです。

まもなく2年

鳴瀬地区の暑気払い。地域の人たちに笑顔が戻ってきた(提供・松島医療生協)

地元の介護施設「なるせの郷」を失った鳴瀬支部は、改めて班づくりやサークル活動などを通じて、人と人を結ぶ作業をすすめ、支部の立て直しを図っています。石巻支部では、1年間で100回を超えるという健康チェックの経験を生かし、「まちの人が集える」医療福祉生協づくりを模索しています。松島医療生協、そして今回訪問した2つの支部は、困難に立ち向かい地域の安心をつくる、笑顔をつくる、という目標に向かって歩き続けていました。

支部の立て直しを誓う鳴瀬支部の3人の理事。左から安部悦子さん、山本幸子さん、手代木せつ子さん

〈松島医療生協〉
●設立年月日 1974年9月12日
●組合員数 6,301人
●出資金 1億5,465万円
●支部・班数 10支部 35班
●事業所 医科診療所1 歯科診療所1介護関連3

〈鳴瀬支部〉
●設立年月日 1982年9月
●組合員数 934人
●班数 6班
●運営委員数 5人

〈石巻支部〉
●設立年月日 1998年1月
●組合員数 279人
●班数 5班
●運営委員数 9人

※2012年11月20日現在