3つの「あい」を大切に~奄美医療生協(鹿児島県)笠利支部:comcom7月号

笠利支部のみなさん

笠利町

笠利町は奄美大島本島の北部地域、奄美空港の西方約3kmの地点にあります。海沿いに広がる人口7千人弱の静かなまちです。2006年、島の中核都市・名瀬市との合併により、住用村とともに奄美市になりました。現在は奄美市笠利町ということになります。しかし、名瀬との距離は遠く、およそ30kmも離れています。

「合併したら住民負担が増えた。変わったことといえばそれくらい。まちのくらしは今までと同じ。何も変わらないねえ」
笠利のまちを歩くと、そんな声が聞こえてきます。

笠利のまちに支部をつくろう

 

「まずは健康チェックこれが私たちの基本です」

今から10年ほど前のことです。体調を崩し、名瀬にある奄美中央病院に入院していた女性が笠利町の赤木名地区にある自宅に帰ってきました。彼女は、入院中に医療福祉生協が「住民の健康とくらしを守るための組合」であること、組合員が地域で健康づくりや安心で住みよいまちづくりをすすめていること、人間の尊厳や患者の権利を守る医療や介護事業を展開していることなどを知りました。退院したら地域の人々に医療福祉生協の良さを伝えたい、ぜひとも支部をつくりたい…。日ごとにそうした思いを強くしていた彼女は、退院を果たすと、さっそく活動を開始しました。友人、知人、地域の集まりなど、ありとあらゆる場面で声をかけ、人と人をつなぎ、02年2月、仲間とともに笠利支部を立ち上げたのです。その人の名は、当 順子さん。残念なことに当さんは、支部が1歳の誕生日を迎える直前、病魔に勝てず、この世を去りました。しかし、笠利支部には当さんが残していった「生命の灯」が、今も赤々と燃えています。

手渡された「生命の灯」

 

学習会も楽しくすすめます

理事の泉スヤ子さんがいいます。
「仲間づくり、班づくり、自宅を開放しての保健大学。とにかく熱心でした。その当さんが、支部を結成して1年もたたないうちに亡くなってしまいましたからね。よちよち歩きだった私たちが引き継ぐことに…」

当さんに声をかけられるまでは、医療福祉生協の存在さえ知らなかった泉さんたち。まずは、「学ぼう」ということで、医療福祉生協の通信教育に飛びつき、仲間とともにいくつものコースを受講しました。

泉さんが続けます。
「『思いをかたちに変える医療生協の未来』『医療生協の明るいまちづくり』『支部運営委員入門』、とにかく手当たり次第という感じでしたね。このほかにも必要と思われる学習はどんどんやりました。全部で8コースくらいは受講しましたね」

遠距離という壁

支部づくりの推進役だった当さんの死を乗り越えて、なんとか支部運営がかたちになりはじめた頃、運営委員さんたちの前に立ちはだかったのは、病院がある名瀬までの距離です。

「30km先の病院。体調がすぐれないときに行くのは無理」
「バスを乗り継がなければ病院まで行けない。時間はかかるし、料金も高い。診療代、バス代を足したら5千円を超える。これでは行きたくても行けない」

支部としては、こうした地域の声に応えていかなければなりません。その一方で「病院は遠いけれど、やっぱり医療福祉生協は地域に必要」という活動づくりもすすめていかなければなりません。

「何のために組合員になるのか。組合員になるとどんなメリットがあるのか」という声も多く聞こえてきたからです。
運営委員さんたちはこの2つの点を中心に話し合いを続けてきました。

(左から)「趣味の集い、学習会、文化の集い、食事会、やりたいことはいろいろあるけどひとつずつ丁寧に」組合員の尚(たかし)和子さん「私は手料理を人に食べてもらうのが大好き」支部長の山口京子さん「「地域の人たちに見える、わかる活動」を大事にしたい」運営委員の平井悦子さん「この支部は先輩から受け継いだ命の灯これからも大事に守り、発展させたい」理事の泉スヤ子さん

まちに出よう

「医療福祉生協の組合員活動をまちの人に見てもらおう、ふれてもらおう」
医療福祉生協がなぜ地域に必要なのか。これをわかってもらうには活動紹介が一番の近道。支部の運営委員さんたちは、笠利町が合併前から実施してきた「笠利町健康フェスティバル」に着目しました。このフェスティバルに参加し、コーナーを設けることができれば、まちの人たちとの「出会い・ふれあい」の場がつくれます。さっそく行政との話し合いを実現しました。そこで骨密度、体脂肪、血圧などの測定コーナーを医療福祉生協として引き受けたのです。笠利支部の「まちへでよう」作戦。早速、変化があらわれました。

「地域で健康チェックができれば、予防にも早期発見にもつながる。健康づくりもみんなでやれば楽しいし、継続もできる。なるほど、金には変えられないメリットがあるんだ」
医療福祉生協への理解が地域に広がったのです。

拠点づくり

「オジイやオバアとこんな食事会ができたらいいねぇ」語り合う支部役員のみなさん

支部長の山口京子さんがいいます。
「笠利町には病院も診療所もないわけですから、地域の人たちは医療福祉生協を目で見ることができないわけですよ。だから、どうしても地域の人に見える拠点が必要だったわけです。そうなるとやはり幹線道路に面していて、目立つところがいいでしょ。必死で探しましたよ」

やっと幹線道路に面したところに民家を見つけ、借り受けることができました。その入り口に「奄美医療福祉生協・絆の家」と書いた看板を取りつけました。

山口さんが看板を見ながらいいます。
「やっと念願がかないました」

これから「絆の家」は地域に何を発信していくのでしょうか。そして、どんなふうに地域に役立っていくのでしょうか。楽しみです。

移動手段を確保せよ

これが笠利町と病院をつなぐバス。笠利支部のがんばりで実現しました

笠利支部は地域課題を克服する一方、「病院が遠い」という距離問題にもとりくみ、展望を開きました。それが地域で送迎バスの運行を手がけている「NPOユーアイ」の活用です。奄美医療生協が「NPOユーアイ」に送迎サービス業務を委託し、笠利支部が利用者の確認と管理をするという連携方式で地域組合員の「足」を確保したのです。

今のところ送迎サービスは週2日と限定されていますが、組合員は無料で送迎サービスが受けられます。「軒先から病院まで」というこのサービスは、とても好評です。これからの課題は、「毎日運行」。委託料を増やして「NPOユーアイ」に増便を求めるか? あるいは医療福祉生協で送迎車を購入するのか? 費用の捻出は? 検討すべき課題はまだたくさんありますが、運営委員のみなさんは、なんとか実現したいと張り切っています。

次の目標

支部運営委員さんが口をそろえていいます。
「やっぱり、事業所がほしい。診療所はもちろんですけれど、それが無理ならせめて訪問看護ステーションを」

支部長の山口京子さんが、みんなの声を受けてまとめました。
「ちょっと背伸びをした目標を立てることが大事。だって目標を立てなければ、活動が生まれないじゃないですか。これからも『出会い・ふれあい・支えあい』の3つの『あい』を大事にしながら、楽しくがんばりますよ」

〈奄美医療生協〉
●設立年月日 1990年9月1日
●組合員数 2万6,457人
●出資金 4億523万円
●支部・班数 15支部 523班
●事業所 病院1 医科診療所2 訪問看護3 介護関連6 保育所1 介護老人保健施設1

〈笠利支部〉
●設立年月日 2002年2月19日
●組合員数 1,600人
●班数 8班
●運営委員数 10人

※2011年3月31日現在