東日本大震災第一次支援隊から第一報

東日本大震災第一次支援隊から報告-第5報
~松島医療生協の利用者・職員に犠牲者~

3月13日に東京を出発し、被災地に向かった第一次支援隊(宮城方面)から現地情報が届きましたので紹介します。(報告者:藤谷惠三副対策部長)

●発無事に宮城県に到着(3月13日夕)

3月13日、東北自動車道を「緊急車両」のステッカーを貼った医療生協さいたまの車で宮城に向かいました。高速道路は緊急車両専用のためガラガラでした。一般道に降りると道が途中でなくなっていたり、津波で流された車で道が寸断されていて到着が遅れましたが、18時半ごろ宮城厚生協会の坂総合病院(石巻市)に到着。停電の中でミーティングを行いました。長野の医療生協、鳥取の医療生協、尼崎の医療生協などからの支援部隊が到着しています。患者は津波による低体温などが多いようです。重症者の方はまだ確認していません。

●無念、松島医療生協の利用者と職員の犠牲者を確認。現地は地獄絵!

【3月14日(月):高橋会長理事・藤谷専務理事、宮城県松島地区訪問】

今日は、松島医療生協を訪れました。朝7時に朝食をとり、8時30分から打ち合わせ。最初に激励のあいさつをしました。9時15分に塩釜を出発して松島海岸診療所にむかいました。途中何度も渋滞に引っかかりましたがすべてガソリンスタンドの給油待ちの車両の列。ものすごい数でした。10時過ぎに診療所に到着。診療所は一階が水につかり、使用不能です。診療所は本日9時から診療再開でした。

理事長や所長、以前医療部会の運営委員をされていた歯科の井上先生とあいさつ。井上先生は涙ぐんで喜んでくれました。情報を収取している最中に「津波警報」発令。11時15分に診療所全員で避難。約1時間後に「誤報」と分かり戻りました。

昼食後13時15分から全壊したデイサービス施設「なるせの里」の調査と行方不明の職員の捜索に出発。20分ぐらい車で移動して、その先は車が入れないので徒歩で20分ぐらい歩いて現地に到着。現地はまさに地獄絵そのものでした。施設の周りを調査中に、職員が施設の車をかなり離れた場所で発見。中に3人の遺体を確認しました。行方不明の職員とデイサービスの利用者さん2名の計3名でした。

すぐ自衛隊を呼んで遺体安置所に運んでもらいました。事業所内は、地震でめちゃめちゃでしたが、そこでも昨日2名の職員が遺体で見つかりました。今日もそのすぐそばで歯科の先生が子供の遺体を発見しました。

16時から打ち合わせをして、松島への支援方針を確認し、松島病院という民間病院(院長が保険医協会)に診療協力の申し入れに行きました。院長は、「電気が来ていないので支援をしていただくことがない」「困ったら診療所に連絡します」とのこと。その後松島町役場を訪問し、西村副町長や保健師と懇談。3か所の避難所に医師と看護師の支援要請を受けました。

17時30分に坂病院に帰着。18時から藤末全日本会長と懇談し、「医師・看護師は、全日本民医連と坂総合病院に集中する。坂総合病院で松島や県南に振り分ける。その他の県については、帰京して調整する。医療関係者への共同アピールを出す。松島町の支援は、本日の宮城民医連会議で調整する」などの点を確認しました。

明日は、みやぎ県南医療生協と福島を訪問する予定です。

2011年3月14日 20時30分藤谷 惠三

<問い合わせ先>
医療福祉生協連 対策本部 電話:03-4334-1580